持続可能なシンプルさ

朝から「狭く深くか広く浅くか」みたいな話のややこしさについて考える。これは車輪の再発明とか巨人の肩という話とも関わってくる。この考えは定期的にやってくるもので、別にどちらかに振り切りたいという話ではない。

日記でもウェブサイトでも、持続的で発展しやすい状態を作っておくのは難しい。何がそうで何がそうでないかは熟練者でないと判断できない。私は熟練者ではないので何が重要なのかよくわかっていない。

そもそもの壁として、単純に飽きる。また、調子に乗って複雑なことをすると後になると忘れてしまう。忘れた挙句、どうでも良くなって最初からやり直しということになる。複雑性が増せば増すほど昔のものに愛着を持てなくなる。わざわざ分解して構造を明らかにして再利用したいなどとはあまり思わない。いや、違うかもしれない。だけど今はそう思う。ごちゃごちゃした過去の遺物に対してそれほど愛着は持てないだろう。

ひとつ思うのは、やはりコンテンツの種になる部分はなるべく裸の状態を持っておくのが良いのだろうということ。それは巷で言われているだけのことはあるなと思う。技術的には複雑なものでも裸に戻すことはできるだろうが、上でも述べたように愛着が持てなければ戻そうとすることもないのではないだろうか。